こんばんは!hajisanです。
「カリスマバイト時代から絶望の店長1年目」
今回はバイト時代にはカリスマ性を発揮し、ムードメーカー的な存在となっていた私が・・・時代の流れでそのまま社員登用して頂く事になります。
リーダー的立ち位置で浮かれていた私が過去最大の壁にぶつかります。
そんな経験を経た私がお伝えしたいのは、コミュニケーションの重要性です。
前回の「人生を変える職業との出会い」の記事を見てない方はそちらを見てから戻ってきてください。
それと自分が思っている程、相手に想いは届いていないという事。
同じような思いをして欲しくないですし、対人関係に少しでも自信がつけば、世界が変わってくる事もあります。
最後まで是非見て行って下さい。
カリスマバイト時代の私
初めてバイトをした宅配ピザ屋さんでの勤務も、なんだかんだで3年が過ぎようとしていた頃・・・
すっかり中堅のポジションまで来ており、
いつの間にか「セーフティーリーダー」という肩書まで持つようになります。
月に1回、都内のビルで他店舗からも同じように「リーダー」の称号を持った、
正にエリートバイト達が一堂に集まり、エリアの(東京23区の割と郊外に位置するエリアでした。)
無事故無違反を目指して会議を行い、バイトとSV(スーパーバイザー)が一緒にアクションを考え店舗に持ち帰り、それから更に今度は店舗で会議を開いてそれを先輩、後輩バイト達と更にブラッシュアップし、実行し、成果を出していく・・・
といったように、今じゃ同一労働同一賃金に間違いなく引っ掛かる様な内容の、業務を遂行しておりました(笑)
そうやって会社も優秀な人材を社員登用していく機会を作っているんだと思います。
勿論、当の本人はまだ20歳そこそこですから、
そんな事は知らずにドンドン天狗になっていきます(笑)
インストラクターとしてエリアを跨ぐ
すったもんだがありまして、気付けば21歳を過ぎた頃、
リーダーとしての世界から更に他のエリア(東京都心部の店舗や、千葉、埼玉など)
リーダーの中の更に選抜メンバー5名の”セーフティインストラクター”に抜擢されることになります。(当時宅配ピザ屋さんで働くアルバイトは約1万人です)
天狗っ鼻はすくすくと伸びておりました(笑)
しかし私なりに本気で安全面に考慮し、エリアを跨いで他店舗に運転の指導に行ったり
後輩指導に一生懸命でした。
そんな時には社長にまで名前を憶えて頂ける位までに、私の名前も轟いておりました。
「やばい!インストラクターが来るらしい!」みたいな、
他店の店長も私が店舗へ行くと、少し気合を入れて対応してくれてました。
それぐらいの力を会社に持たせてもらっていたのです。
調子には乗ってないつもりでしたが、きっと他の人から見れば調子に乗っていたと思います(笑)
コンテスト新人部門入賞
SDAコンテストという、宅配チェーンの会社が3輪バイクの技術を競い
鈴鹿サーキットで1年に1回行われるイベントに参加する機会があり、
その運転技術と法規運転知識の強者が集まる大会にて、6位入賞という微妙な成績を取ることが出来ました。
勿論、履歴書に書いても全く盛り上がらない成績ですが、当時の私は本当に会社に感謝をしておりました。
中卒の学歴のない私をここまで評価してくれ、表舞台に立たせてくれた事、
会社を愛し、必ずご恩返しをしようと心に決めておりました。
そうして私の社員への道が開いていく事になります。
背中を押され社員の道へ
気付けば23歳になる頃、当時2歳上の女性店長に進められ、この宅配ピザ屋さんに入社を決意しました。
研修がしっかりとしている会社で、約1カ月強、本社でみっちり教育を受ける事になりました。
この時の内容は会社に関するIRや企業理念など、多かったですがやはり「人材育成」について学ぶ時間が多かったと記憶しております。
そうして研修を終えた私は都心部の店舗ではなく、古巣同様に23区の郊外の店舗へ配属され、店長の下、店長業務を10カ月学び、晴れて千葉県市川市にある店舗で初めて店長として勤務する事になります。
残念ながら今はその店舗は潰れてしまっておりますが、本当に色々な経験をさせてもらった店舗でした。
店長になった私
晴れて店長となった私は燃えておりました。
やる気に満ち溢れていました。
どれくらい溢れていたかというと、毎日朝は6時に起きて、夜は夜中の2時までみっちりです(笑)
いや自ら進んで働いていたのです(爆)
スキルを時間でカバー出来た時代で、とても良い時代だったのです(笑)
同じ店長仲間との話題は、大体何日連続出勤していて、月の残業が何時間か?でした(笑)
でも私は楽しくて仕方なかったので、全く疲れなかったですし、全く回りも見えてなかったと思います。
店舗の売り上げは月600万前後、ミドルセールス位の店舗でした。
私がアルバイトでいた店舗は月1,000万近い店舗で、週末雨が降ると単日で100万超える日もありました。
それに比べると正直大して忙しいとは思わない店舗でした。
前任の店長
私が着任する前の店長、つまり前任の店長が仕事の出来る人で、(店長代行のバイトの子は崇拝していました)
社歴も10年以上の方で、私と比較されれば「月とすっぽん」だったと思います。
かなり切れ者の前任店長はメニューの折り込みや投入計画なども緻密で、私が着任した初月は昨対比140%を推移していました。
これは私の力ではなく間違いなく前任の方の力でした。
更にかなり力で押さえつける方だったこともあり、私が着任した瞬間に5人バイトの子が辞めました(笑)
従業員は一時10人くらいまで減りました。
毎週末最低8名はドライバーが欲しいのに6人集まればいい方で、毎週ボロボロで運営しながら毎週1人辞めていくという負のスパイラルに突入していきます。
負のスパイラル
私は事務処理が大の苦手でした。
入社当時は配属された店舗で、従業員と触れ合うのが好きで、まだ見習い中は、バイト達と戯れる事が日常でした。
従業員との時間を捻出するのは、とても重要な事とは理解しているのですが、
いざ店長になると、その事務処理の量に圧倒されます。
いや、やったことのない事というのは時間が掛かるのです。
元々、中卒の私はPCに触った事すらありませんでしたから、それをエクセルだのワードだのパワーポイントだの、それを使って集計表やら何やら私には呪文でしか無かったです。
平日は朝出勤しキッチンの立ち上げをすると、「ちょっと頼むね!」と事務所の中に次第に籠るようになります。
気付いたら昼のピーク時間が過ぎ、店内がボロボロになり、バイトの子は冷たい視線で私を見るようになっていきます。
さすがにマズいと思った私はピークタイムだけは、オペレーションをするようになりますが終わるとすぐに事務所に籠り、どんどん従業員とコミュニケーションを取らなくなっていきます。
いえ正しくは取っているつもりになっていました。
ドライバーの子は必ず”精算“をするのに事務所へコインカウンターを取りに来るので、
その時に声を掛け、「この時間でしかコミュニケーション」が取れないので、
今日のオペレーション中の話をしたりするのですが、当然、事務処理で一杯いっぱいの私は、
上の空で話を聞いたつもりでおり、次第にドライバーの子たちは、
コインカウンターだけ取りに事務所に入り、”精算”を事務所の外でやるようになります。
シフトの協力が悪くなり、更に少ない人数で、オペレーションをするようになり、
毎週末ピーク後は電話が殺到するようになります。
そうです「クレーム」の電話です。
店舗へ行くのが怖くなる。
そのクレームの電話を受ける授業員たちも、モチベーションが下がり、店舗は文字通り崩壊していきます。
結局、お客様からも、従業員からも支持されない私は、次第に店舗へ行くのが怖くなっていきます。
店長代行の年下のバイトの子には、「店長いてもいなくても一緒ですから」と、相手にされなくなり、終いには私の休みの日には店舗のお金が消えるようになっていきます。
私は、何もかも信じれなくなっていきます。
私をバイト時代から知っている各エリアのSVの方たちも、交代に店舗へ来ては「大丈夫か?」と声を掛けてくれていました。
店舗でオペレーションを週末頑張って回してくれるのは、店長代行のバイトの子で私は宅配ドライバーに成り下がっていました。
そこへある日、当時担当エリアの課長が店舗へ巡回に来て、私に一言
「もうお前は限界だ店舗を異動させる」と辞令を受けます。
悔しくて涙が止まらなかったのを今でも覚えています。
でも何処かでこう思っていました。
「良かった」っと。。
自分でも分かっていました、もう店舗が纏まらない事も、
従業員から相手にされていない事も・・
最後に言われた一言
着任最終日に従業員の子から「最後に飲みいきましょうよ」と誘われます。
重い腰をあげて近くの居酒屋で、私含め4人で小さい送別会を開いてくれました。
特に何を話す事もなく、時間だけが過ぎていきました。
私も最後の日だし、少しヤケにもなっていたのでハイペースでお酒を飲んでいました。
すこしお酒も回って、素を出して良く喋る私を見て、言われた言葉は今も胸に残っています。
「店長、そんなに笑顔で喋れるんじゃないですか?」
「どうしてもっと最初から そんな風にコミュニケーション取らなかったんですか?」
…取っていたつもりだったんです。
話しかけていたつもりだったんです。
自分が出来る精一杯のコミュニケーションを、取って接していたつもりなんです。
この仕事が好きで、接客が好きで、自分をここまで変えてくれたこの会社を愛し、バイト時代から一生懸命に頑張って、誰かを笑顔に出来るこの仕事に誇りを持って今日まで頑張ってきた。
休みもまともに取らずに、朝から晩まで身を粉にして働いてきて・・・
恩返しをしたい!少しでも会社に貢献したいと誰よりも強く想っていたんです。
…でもそれは自分の中だけでの話だったことに気付かされたんです。
私は“想いは言葉にしなければ伝わらない”という事を、この市川市の店舗で教えて頂く事が出来ました。
私は幸せ者です。
この経験を胸に今日まで歩んできました。
今後も関わりを強く持ち、共に歩んでいける仲間を、大事にしていきたいと思います。
今がスタートラインです
〜1度切りの人生、わがままに生きていきましょう!〜
♪♪それではまた会いましょう bye✋♪♪
続きは「挫折から成功へ、大事な事を教わった3年間」をどうぞ♪
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