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挫折から成功へ、大事な事を教わった3年間

青空 雑記

こんばんはhajisanです。

コミュニケーションがうまく取れずに、絶望の淵に立たされた私が。

気持ちを入れ替え、入社3年目にして遂に店長らしい店長になれました。

それに至るまでの経緯をお伝えしていきたいと思います。

前回までの記事「自信を無くし、自己肯定感が低かった社会人1年目」を見ていない方は

そちらを見てから戻ってきてください♪

2店舗目の裏切り

初めての店舗では最後に気持ちは「言葉にしないと伝わらない」

当たり前のようで出来ていなかった事を、まずはしっかりやっていく事を意識しました。

特に1番苦手だった。

「ありがとう」という感謝の言葉を伝えていくようにしました。

ありがとう

しかし人間そんな簡単に変われないものです。

また隙を見て事務処理をしてしまったり

コミュニケーションを取らないようになっていきます。

2店舗目の配属された店舗は「千葉県市川市の行徳」という地名で

お店の近くには旧江戸川が流れる閑静な住宅地で、1店舗目のお隣りに位置する地域でした。

ちょっと脱線します

その江戸川では毎年花火大会が行われ

ピザを現地で売るという会社でも一大イベントにあたりこれ以外にお花見やクリスマス商戦などあります

3大イベントのとして大事な収益になるイベントです。

ピザ屋さんも的屋に負けじと、土手近くで仮説店舗を構えて、ピザのピース売りをしたり

仮説店舗からピースピザを袋に入れて、直接土手に売りに行くという

「売り子」という販売方法を展開していました。

花火

バイト時代には私も毎年駆り出されていました。

花火の打ち上がりまでが勝負で、わずか2時間程度で400円のピザを100枚以上販売する強者もいました。

やってみれば分かりますけど超大変です。

酔っ払いに絡まれたり、花火を見るのに邪魔だと怒られたり、的屋の怖い兄ちゃんにも怒られるし、しかもピザの売り残しなんて有り得ないという当時のオーラ感はすごく

私は売れないピザを持って良く隅っこでサボって、自分の身銭を切って「売り切りました!」なんてやってました(笑)金額にして2,000円位

初めての花火大会準備

さて話を戻しますが、

そんな2店舗目に配属された店舗は、その花火大会が間近に迫った時期でした。

私は周りの先輩店長に言われるがままに準備をし、スケジュールに沿ってピザを焼いたり、運んだりと無我夢中でした。

そんなイベントを無事に終えた私は、”また”元の事務所に籠る、使えない店長に逆戻りしていくのです。

不安な未来

当時その店舗にも店長代行のバイトの方がおり、元々社員だった方で、年齢も3個上の頼もしい方でした。

その頃、プライベートも少しバタバタしており仕事に身が入ってないのを見透かされ

「店長、大丈夫ですか?辛い時は辛いって言ってもらえれば良いんですよ?」

まだ前回の店舗でのダメージとプライベートでのゴタゴタを抱えていた私は素直に

「今、一杯いっぱいなんです・・・出来るだけオペレーションは任せていいですか?」

素直に気持ちを伝えてみました。

切れる上司

すると次の日から劇的な変化が起きます。

何故か私の意見をアルバイトスタッフは聞こうとしてくれず、

良からぬ噂をたてられていた事に気付くのは、少し後の事ですが、どうやらその店長代行はプライベートでの悩みなどや仕事の悩みを、だいぶ誇張してスタッフたちに伝えていたようで、まるで犯罪者を見るような目で見られるようになります。

そうしてまた私は店舗で孤立していき、2回目の異動を余儀なくされることになります。

3店舗目の店長代行

円卓を囲んで会議

社員になってわずか1年もしない内に

3店舗を経験することになるとは夢にも思ってませんでした。

元々異動の激しい会社ではありましたが対人関係をうまく作れていない私にとっては

何よりの救済措置ではありました。

3店舗目に異動した店舗では、すぐに従業員一人、一人と面談をするようになりました。

そうすることで相手に興味を持ち、その上で自分を知ってもらおうとしました。

これがある程度良かったのか、大きなトラブルもなく運営していくようになります。

3店舗目は葛飾区四つ木店

初の東京進出?となった四つ木店は、市川の2店舗と比べて売り上げも高く

私は売上を取る為のメニュー戦力を意識するように、この時期からなっていきます。

社員として2年目に入ってきていた頃で、少し事務作業にも慣れてきており、

コミュニケーションを多く取るようにもなっていました。

この時に店長代行の子に言われた一言も今も忘れないです。

「店長は2店舗とも上手くいかずに崩壊させてきたみたいですね。でも安心してください、僕が絶対そうはさせませんから」

生意気な学生

これは勿論、良い意味に捉えるような言葉では無いです

この言葉は私にとっては良い刺激になりました。

私も同じ事になるのは嫌ですので、この頃から少し頭を使うようになります

今までと同様に事務処理はしないといけないのですが

ただ事務処理をするのにも、

「ちょっとよろしく!」と言って籠るのではなく

具体的に何をこれからする為に事務処理をするのか?を、ある程度伝えてから籠るようにしました。

それとその日やっていた事を従業員の子に話すようになりました。

「最近反応の悪いA地区に短期間で多くメニューを撒いてみようと思っているんだよね!」といった感じです。

これは効果覿面でした。

それと仕事外でも少しずつ時間を取るようになります。

ビールで乾杯

飲みに行ったり、ご飯に行ったり少しずつするようになります。

そうやって自分の事も知ってもらおうとしました。

何か少し手応えのようなものがありました。

メニュー戦略も上手く行き、前年売上も大きく更新し、次の店舗へ異動していきます。

4店舗目の大成功

次に配属になったのは足立区西新井の店舗でした。

実はこの私の異動は予定外の異動でした。

西新井の店舗に賊が入り、前任の女性店長が危険な目に遭い

会社として対応をしたわけです。(あれ私になにかあってもいいのかな?とは思いつつ(笑)

強制的な異動があり今回に限っては私においては、ネガティブな異動ではありませんでした。

丁度この頃は足立区の花火大会を、数か月後に控えている時期で、私は1から計画書を作成し、遂行していく事になります。

沢山の打ち上げ花火

江戸川の花火大会と比べれば規模はやや小さいですが

近隣店舗との共同作戦にて、売上最大限の確保をする為に、自分なりに試行錯誤し当日を迎えます。

勿論この時も多くの方の支えがあって無事に成し遂げる事でき、当日は残念ながら若干雨が降ってしまい空振りに終わってしまうのですが、とても貴重な経験させて頂きました。

足立区西新井での出会い

初めて、自分の思うように、店舗のかじ取りが出来るようになってきていたのは

この頃からだったと思います

ほぼ毎日のように従業員と飲みに行き、従業員を家族のように思うようになってきていました。

無事に花火大会を終えた私は、次に来る、クリスマス商戦もほぼ完ぺきな形で終える事になります。

前年のクリスマスは1店舗目で経験するのですが、

SVの方が店舗に来てコントロールをしてくれたので、実質初めてのクリスマスでした。

クリスマス商戦

ピザパーティー

宅配ピザを頼むとしたらどんなタイミングですか?

週末の家族が揃った時?誕生日など特別な日?

サッカーや野球などの特別な試合の時等など、色々なイベントがあると思うのですが

クリスマスにおいては短日で通常時の売り上げの3〜5倍程度売れる日で、

この日の為に人員を揃え、1年かけてやってきた成果を発揮するという、

間違いなく最大のイベントであり、これにおいてはお客様も、勿論同じ気持ちでおり

通常時、ちょっと入れ忘れがあった程度なら、「次は気を付けてくれればいいから〜」くらいで済む話がクリスマスの日に同じ事をやったら大クレームになります

それくらいお客様にとっても店舗にとっても大事な1日です。

クリスマス商戦を終え、正月も乗り越え、

店長として認めて貰えた西新井店の従業員の事を今も忘れる事はありません。

まとめ

一筋の光

絶望の淵から、一筋の光を見つけて這い上がる事が出来た私は、

本当の意味で”1人では何も出来ない事”、”感謝を常に忘れず、思いやりを持って人と接する事”の大事さを知れました。

店舗レベルを引き上げる為には人材育成が重要です。

人が行動を起こす時は心が動く時である、それを知るにはまだまだ先の話です。

17歳から26歳までお世話になったピザ屋さん。

私の骨格を作った会社でした。

肉付けをし、自分らしさを追求していく事をこれからも忘れずにしていきたいです。

今がスタートラインです              

〜1度切りの人生、わがままに生きていきましょう!〜

♪♪それではまた会いましょう bye✋♪♪

雑記
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